「頭がおかしい、考え直せ」と言われながら飛び込んだ先で
何が待っていたのか、正直に話します。
入社して知った「現実」
私が1回目の転職をしたのが32歳の時です。
1社目で既に10年在籍していました。
人材系の会社から次に私が選んだのはIT系のSaaSスタートアップ。
いまで言うAIスタートアップみたいな、当時は流行りだったであろうSaaS系のベンチャー企業でした。
マネジメント経験あり、営業経験10年という経歴を引っさげて私は意気揚々と転職しました。
しかしそこで待ち受けていたのは「異業界」という壁。
当たり前ですが業界が違えば常識もお作法も違う。
1社目はどちらかと言うとウェットな関係で上下関係がある中でも砕けていて土日も集まるような、体育会系の職場でした。
業務中でもふらっと同僚の席まで行って最近の調子を聞いたり、クライアントの情報を聞いたりできるような環境でした。
むしろそのような時間が貴重な情報収集源と言えたでしょう。
IT企業は、と言うか私の職場だった会社は真逆。
驚くことに隣の人ともチャットで会話する文化でした。
隣にいるなら、同じオフィスにいるなら話しかけに行けばいいじゃん?
と思っていたのですが、どうやらエンジニアという人種は話しかけられるのがあまり好きではないらしく(おそらく自分の業務が止まるのが嫌)
隣の人とも当たり前にチャットで会話するのだそう。
カルチャーショックでした。
そんな世界があるなんて知らなかった・・・
普通に考えて、32歳の時にその壁にぶつかるのだと遅すぎると思う。新卒3年目ならまだわかる。
そんな右も左も分からない業界に転職して、しかも子どもが生まれたばかりで、フル出社。
・・・やっぱり頭がおかしかったのかもしれない。
上司の言ったことは正しかったのかもしれない。そう思ったこともありました。
さらに驚かせてしまいますが、当時の会社は正真正銘のスタートアップ。設立2年目、なんと社員は10名しかいませんでした。
制度もクソもない。プライム上場企業からドベンチャーへ。
やっぱり頭がおかしかったのかもしれません。笑
とにかくそんな異業界で今までのような実績が出せるはずもなく、
新しい上司にボロクソに言われながらまた一からがんばる日々。
転職前は5時間勤務で10時出社、子どもの迎えは遅くても17時だったのに、転職後は7時に保育園に預け保育園が閉まりかける19時、20時にダッシュで迎えに行っていました。
転職前は管理職でロープレを見る立場だったのに、転職後はロープレを見てもらう立場。
意気揚々と転職した私のプライドはズタズタ、実績もすぐには出せず、
入社して半年は死ぬ思いで仕事をしていました。
進んだ道を、正解にするしかなかった
転職4回の経験から、私が強く思うことがあります。
それは
「入社して半年は死に物狂いで働け」ということ。
どんなに経験があっても、どんなに自信があっても。
仕事にいち早く慣れる意味でも、新しい職場での信頼貯金を貯める意味でも。
入社して3ヶ月は、毎日後悔していました。泣きながら製品や仕様を覚えて、歯を食いしばって1時間かけて通勤して、またロープレをする日々。
そして子どもへの罪悪感。
一番グサッときたのは、お迎えが一番最後だった日のことです。
部屋に先生と二人きりで待っていた我が子。本当にかわいそうだった。
「こんなに寂しい思いをさせてまで、転職したかったのだろうか」
成果も出せていない。なんのための転職だったのか。失敗だったんじゃないか。そう思いました。
でも、進んだ道を正解にするしかない。だったらやるしかない。
そんな思いで毎日をなんとか生きていました。
今思えば、結構ギリギリのラインでした。よく潰れなかったと自分でも思います。
1社目での経験や忍耐力がここで役に立ったのかもしれません。
転機が来たのは入社して半年が経った頃でした。
やっと仕事が軌道に乗り始めて、自分らしい商談ができるようになった。
お客様からまた感謝される瞬間が戻ってきた。自分の判断で契約継続が決まった。
少しずつ、できることが増えていった。
圧倒的に苦しかった。でも、仕事は楽しかった。やりがいを求めて飛び込んだあの決断は、間違っていなかった。振り返った時、そう思えました。
そしてクビになった
必死に走って、気づけば1年が過ぎていました。
チャット文化には完璧には馴染めないままでしたが、同僚と協力しながら新規顧客の獲得、継続率の維持、解約防止施策などを話し合う日々。
少しずつ、自分の居場所ができてきた気がしていました。
時はコロナウイルスが出始めた頃。2020年2月のことです。
国内では2020年1月15日に最初の患者が報告され、2月3日には横浜港に到着したクルーズ船で感染が拡大。まさにその時期でした。
未曾有のウイルスのニュースが流れると、社長は即座にリモートワークへの切り替えを決定。
午後には実施が決まっていました。判断が本当に早かった。
そして私は、自宅待機を命じられました。
実はその年末に第二子の妊娠が発覚し、直属の上司にはすでに報告していました。
今思えばわかります。「自宅待機」は体のいい言葉に過ぎなかった。
コロナで業績が悪化する中、これから産休育休を取ろうとしている社員を抱える余裕は、すでに会社になかったのだと思います。
あの「自宅待機」は、事実上のクビ一歩前だったのです。
つわり中で出勤が辛かった私は、リモートワークへの切り替えを聞いて正直ほっとしていました。
「なんでもチャット文化」だったので業務に支障もない。
社長からも「ワケのわからないウイルスが流行っているし、つわり中とも聞いたし、2週間ほど休養してください」と言ってもらえました。
でもその時、胸騒ぎがしました。
2週間後、つわりが落ち着いてきた頃に社長へチャットしました。「ご配慮いただきありがとうございました。つわりも落ち着きましたので業務再開できます」と。
返ってきた返答は、耳を疑うものでした。
「申し訳ありませんが、会社の業績も良くなく、凛さんをこのまま雇い続けることはできません」
会社が提示してきた選択肢は2つ。
「正社員から業務委託契約に切り替える」か「無給で籍だけ置く」か。
どちらも、到底受け入れられるものではありませんでした。
そんな大事なことをチャット一つで伝えてくる感覚も信じられなかった。
何より、妊娠中の解雇は違法だと知っていました。人材業界に10年いた私には、その知識がありました。だから反論しました。
結果、社長と管理部顧問と私の3人によるクローズドなチャットが開かれました。そこで言い渡されたのはこうでした。
「それであるならば、凛さんを6月末で解雇いたします。これは決定事項です。引き続き働きたい場合は新たに応募してください」
以上でした。
同僚への挨拶もできないまま。直属の上司への報告もないまま。
すべてがチャットで終わりました。
人生で初めて、動悸がして手が震えました。
怒りでした。
こんな理不尽なことがまかり通っていいのかと、心の底から憤りました。
次に不安が押し寄せました。え?今、解雇するって言った?妊娠6ヶ月の妊婦なのに?これからどうするの?
でも、すぐに冷静になりました。
夫に「解雇された」と一言だけ報告して、その手で同僚のツテを使って転職活動を開始しました。
止まっている時間はなかった。ただ、それだけでした。
クビになった日が、私の再出発だった
泣きたかった。でも、止まっている時間は私にはありませんでした。
あと数ヶ月後には第二子が生まれる。
物理的に働けなくなる前に、新しい転職先を見つける必要がありました。
有事だったので、一旦専業主婦になる選択肢もあったと思います。
でもこの時、家を買ったタイミングでもありました。一馬力で生活するには正直きつかった。
だから止まれなかった。
泣く暇があるなら動く。それだけでした。
このブログを読んでいるあなたにも、理不尽な経験をしたことがある人がいるかもしれません。
私の話が、動けない誰かの背中を少し押せたなら嬉しいです。
私の転職の話はまだ続きます。次回は第二子妊娠中に転職活動をした話を書きます。
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